23年でチームを退団する選手の発表。今年は5人がチームを離れることになった。
※5年間、主戦として投手陣を引っ張った榊原響
・21 榊原 響(さかきはらひびき)投手 34歳
高知県出身 高知高-中央学院大-JFE東日本
・16 峯田卓実(みねたたくみ)投手 28歳
山形県出身 日大山形高-中央学院大-ゴールドジム ・0 金子侑聖(かねこゆうせい)外野手 30歳 埼玉県出身 滑川総合高-共栄大-YBC柏-JFAM ・6 太田健裕(おおたけんすけ)外野手 27歳
京都府出身 乙訓高-関西大
・18 和田悠弥(わだゆうや)投手 25歳
大阪府出身 八戸学院光星高-金沢学院大
※左上:峯田卓実,右上:金子侑聖、左下:太田健裕、右下:和田悠弥
それぞれ転職だったり、地元へのUターンだったり、出産に伴う育児だったり、怪我だったり理由は様々だけど共にプレイしたメンバーへの感謝!
何年経っても、それぞれの選手との必ず忘れらないシーンはずっと思い出として忘れられない。
引退して時が過ぎても、不思議と選手とシーンはリンクして思い出される。
太田は最終回二死からの逆転サヨナラのセンターオーバー。
金子は強豪相手には本当に強くてヒット1本でシード撃破のあのシーンが忘れられない。
和田はコロナと共に石川から上京し、軟式ボールの対応に苦しんだが港区の決勝での零封の時の初めて見た自信みなぎる顔は印象的だった。
峯田は公式戦の出場は殆どなかったが、練習でも試合でも献身的な動きはいつも感心してた。
東京のクラブチームは、転勤、転職、Uターンなど、とにかく出入りが激しい(笑)
それぞれ既に地元に戻った選手もいるが、それぞれの道でこれからも頑張ってほしい。
今回、特に寂しいのは榊原響の引退。
既に肩はボロボロだった。これまでも肩の痛みとの戦いで、騙しながらやってたのは知ってはいたが、流石にもう限界まで来ていた。
響との思い出はたくさんあり過ぎる(笑)
バンバータが初めて出場した21年の「天皇賜杯」も先発で8回を投げ切った投手 19年の入団からとにかくフォーム型めを一緒に徹底的にやった。
私のスマホには「榊原響」の投球フォームフォルダが存在し、今確認したら50以上の動画が保存されていた(笑)
そして、響の一番の貢献は何より、アカデミーヘッドの島田達ニ氏の就任の裏には響の後押しがあったことだ。
島田さんは高知中学で軟式野球の監督、高知高校で高校野球の監督を務めたが、響は中学、高校と6年間島田監督だった。
バンバータのアカデミーに興味を持った島田さんは、当時最初に相談したのが響だった。
※2020年1月に響の紹介で上京した島田さん
自分の恩師が、まさか学校、教師を辞めて上京するというチャレンジを後押しするなんて、教え子としてもなかなか無い経験をしている(笑)
島田さんが統括するアカデミーに今度は教え子で、バンバータ戦士の響がきっと恩師をバックアップしてくれるだろうと思う。
個人的には響とはよくゴルフに行くし、プライベートな大人の相談にも乗る(笑)
きっとこれからの付き合いは深くなりそうだ。
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